ミスとの闘い、「慢心・無関心」と「好奇心」。 組版よもやま話(その12)

 ボーっと生きてんじゃねえよ!

 NHKの人気クイズ番組「チコちゃんに叱られる!」を知らない方には何が起こったのか皆目見当がつかないと思いますが、今年の流行語大賞にもノミネートされたようです。週末に、そんなチコちゃんに喝を入れてもらっている window-tribe です。

 さて、大昔、ログハウスがブームだった折に冷やかしでモデルハウスを見学に行った時に、セールスの方からログハウスを売らんがための聞こえの良いメリットよりも、どちらかというと買った後に気づく欠点を正直に詳しく教えて頂いたことで感銘を受けたことがありますので、今回は恥ずかしながら舞台裏の「言い訳話」をしてみようと思います。


 私どもの会社では、お受けした仕事の多くが「受注生産」となります。格好良く言うとオーダーメイドという事になりますが、原稿があってそれに則り印刷物に「仕立てあげて」いきます。
 厳格な品質やコストの管理がある「計画生産」や「見込み生産」の方も大変ですが、「受注生産」の行程はお客様の要望も多く入ってケースバイケースの事が多く変化に富んだ作業です。変化が多いと言う事は「人と人とのやり取りの間」に意思疎通の掛け違いによる「ミスが起きやすい」ともいえますし、お客様の望まない製品が出来ますと「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と言われても仕方ありません。

 その根底には自分では分かった風な「」や、自分には興味がないという「無関」という病巣があり、それをお客様のしてほしいことは何かという「好奇」と「向上」で乗り越える事が出来るのかという「掛け」について考えてみましょう。


「言う側」と「聞く側」

 ミスが発生した場合には指示を発した者から「何でミスが発生したんだ」との声が受けた者に向かって発せられる事が多いのですが、客観視すると指示を出した側にも問題は無かったのかという視点も生まれます。

 指示は往々にして上役から部下に対して出る事が多いのですが、私が駆け出しの営業社員だったころ、おっかない上司(今では人生の師です)から雑に書かれたメモを示され「分かるか、のぅ!分かるか?」と詰め寄られて、「はぁ、まぁ・・」と言ってその場を凌いでも、結局後でミスしていた経験が脳裏に浮かびます。言う側は分かっていても(上役に対して言い難いですが「慢心」かなとも)、聞く側は経験が浅い(言われている内容に関心が無かった)ケースもあるので理解を確かめながら伝える必要があります。

 しかし最初の指示の発生者たるお客様に我々からそのようないい加減な対応は出来ませんので、この経験を生かして取り組んでいる方法は「物分かりが悪い」という事です。以前のブログにも書きましたが「分からず屋」である事が私のキャラクターです。指示をされる方の持っているイメージを私の頭の中に再現できない場合は、理解できるまで繰り返し聞くので相手に「じゃけぇ(怒)(広島弁)」とイラつかせる事も多々あります。

 それでもやっと理解が行けば、後の行程にはどのような印刷物を作ればよいかの、より具体化・細分化した指示を流す事ができて、結局、お客様に満足していただく品を早くお届けする事ができます。

 実際に弊社営業の者から、たとえ価格面で取りこぼして他社に行った仕事でも、お客様から「ニシキさんの頃は校正が楽だった」という声を頂いたと聞かされると「分からず屋」の取り組みも捨てたもんじゃあないと一安心できます。「ウサギとカメ」でいうと、調子よく物分かりの良いウサギより物分かりの悪いカメでいたいと思います。(ついでに弊社のキャラクターは最近カメである事を忘れているようなカメです)


失敗を忘れない 

 私は今でこそ、のほほんと生きていますが、こう見えて「失敗のデパート」です。多くのお客様から頂いた「お叱りの言葉」で土台を固めさせて頂いています。


 その中でもとりわけ忘れられない事例は、大昔、私の部門で写研という組版機材を使用していた時に活字に無い文字は手書きでトレースしたりした文字を画像登録してコード番号で管理していたのですが、オペレーターさんがそのコード表をやり変えた折に、作業中の書籍に使われていた外国の方の人名の文字がとんでもない他の文字のコードに置き換わったまま本となりました。「作用」が有ればどこかに影響が表れる事を失念していた結果です。
 出版の集まりの場に執筆者様から編集者様の方に、その「人名」にかけた思いと、何故他の文字になったのかという文書での抗議が入りました。弊社の一方的にミスですので編集者様にすれば晴天の霹靂です。

 見せて頂いた、その思いを綴られた文書の内容は私の心に深く刻み込まれ、今でも大切に保管しています。

 また、ある広報誌の編集担当者様に執筆者の先生から「点(読点「、」のこと)が一つないだけで文章を書いた人の人格が疑われる」と言われた、とのお話を聞いた事もありました。

 この「亀の日常茶飯事」でも誤字脱字が多いので「ちゃんと読み返しているのか」と注意はしています。印刷物は一回世に出ると取り返しが困難になるのですが、ネットの世界では文字を訂正して更新すればよいという考えが背景に有るのかも知れません。ところが学者・研究者の権威を重んじる世界では、引用される数が論文の価値となり、万が一相手に「失笑」されるような間違えでも命取りになりかねないと心得るべきです。


「無関心」

 これらの事を当事者でなかったら、たった一文字の事ととる向きもあるかも知れませんが、私は一時食品関係の仕事に携わった事がありますので、食品における過失は人の命に関わるので保健所に監督され、食中毒を出せば営業停止の行政処分もある事を厳しく言い聞かされていました。

 我々の仕事は保健所のように監督されないまでも、一文字で人の心を踏みにじったり、担当者様のキャリア(職業人としての命)にキズをつけることにもなりかねないことを意識しています。

 この事を踏まえて事あるごとに「テストで99点なら良い点だと思うだろうが、我々の仕事では1万文字の仕事なら100字間違えている事になる。100点満点以外は0点と同じだ」などと新人には無茶苦茶を言います。
 十人十色とも言いますが中には「内容に興味が無い」とか無関心な答えが返ることもありました。「水は低きに流れ、人は易きに流れる」という諺があるようですが、何事にも無関心な者が行き着く先は井の中の蛙となり「外の世界の常識と自らの殻との落差」から目を背けてしまいます。

 このような無関心で向上心の無いぼんくらな返答は初代・先代の社長の耳にでも入れば「怒髪天を突く(難しい言葉をよく使っていました)ところです。

 青二才だった頃の私自身も鬼籍に入られた大先輩から「君たちと話していると宇宙人と話しているみたいだよ」と言われますと「こっちから見たらそっちが宇宙人じゃ」と不遜な考えをしていたのですが、大きな時が流れて知らない間に私自身が反発していた大先輩の受け売りを話す「宇宙人」になったかなとこの頃感じています。まあ、私には天を突くほどの髪も無いので、自称「地球人」には気長に本造りの醍醐味を聞かせる日々を送って新たな「宇宙人」の引継ぎ手を探しています。


「好奇心」

 自分で言うのも恥ずかしいのですが、私は好奇心旺盛なほうですので、結構お客様の周りの事柄は関心をもってアンテナを張って、「隣の同僚よりニシキさん」と相談相手になれるように好奇心をもって努力しています。

 組版がアナログ時代のウン十年前はかすれたロゴマークが入稿すればお客様の「看板」ですのでトレースして綺麗に仕上げ、複製を重ねて見ずらい地図も新たに製図ペンとスクリーントーンで丁寧に作成して現在でも随所でスタンダードとして使用してもらえているものもあります。

 ところがアナログ時代の住人の私に出来るのはここ迄で、まるで「浦島太郎」のように自分の仕事に酔いしれている間(慢心していました)に時代がデジタルに移行して置いてけぼりの危機に瀕します。

 そこで最近は道楽がてらに、流行りの「飛び道具」に手を出して若い連中において行かれないように勉強に励んでいます。(下の写真は上の地図の現在の姿と、海辺のキャンプに行ったときの海の青さのグラデーションを撮ったものです)


 結果、私も仕事を楽しんでいますし、前にも書いたことがありますように頑なに組版ルールを守ろうとする組版オペレーターの「石頭」さんなど自分なりの本造りのスタイルを確立して、相手に対して良いと思ったことは直ぐに実行に移してお客様の信頼を得ている者の姿を見て楽しみな部分もあります。

 しかしこういったトップクラスの者が弊社の実力ではなく、誰がどのお客様の対応を受け持つのか分かりませんので、「未知の可能性がたっぷりと浸み込んだ」ボトムにいる者の力が弊社の本当の実力と考えないといけません。この可能性を搾り出し底上げすることが私に残された時間の楽しみになるのか苦労になるのか・・・。


 そのような、すったもんだの舞台裏なのですが、ご迷惑をかけましたお客様の呆れ顔怒りの声を大切な財産にして、ここに書いてあるぼんくらな社員は根絶させて頂きました・・・・・が、それでもお客様の対応をさせて頂いた弊社の社員で「分かった風なふりをして、やれ〇〇だとか、〇〇などと言っている印刷会社の社員のなんと多いことか(NHKの森田美由紀アナ風に)」と感じる不勉強な者が居りましたら是非、「ボーっと生きてんじゃねえよ!」とお声がけをよろしくお願いいたしまして今回の話を終わらせていただきます。

 

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